介護 53才ムスメの日記

8353母娘 日々精進の日々です

母の性格と認知症②

もともと、母はヒステリックな土台の性格だけど。

どっかで私のメンタルのコップがあふれちゃったのは事実なんだよな。


1年~2年ほど前から 仕事から帰宅すると玄関にロックをかけてしまい

入れないことが増えた。


とにかく、玄関まで来てもらわなければならない。

何度も何度も、、ピンポンを押して わずかに開いたドアの隙間から
「おかーさーん! ただいまーー! 〇〇子だよ!!帰ってきたよぅぅ 開けてぇぇぇ」
と叫んだ。

ドアの隙間に顔をくっつけながら、自分で押したピンポンの音が聞こえる。
電話もかけてみる。 出ない。

私の声が聞こえているのか? 

返事はない。  

無事か? 倒れてないか?  何かのどに詰まらせたとか? まさか・・・



数分たって、「ぅおおん? あーー?」

ゆっくり、そろそろと起きてきて、やっとこさ玄関を開けてくれる。

そんなことが、何回あったろう?


あんまり頻回なので、(実は開ける方法を何とか見つけることができたので)
自分で外から開けて、入ってこれるようになった。

マンションのドアの隙間に顔をくっつけて、大きな声で「開けてぇぇ、おかーさーん」
と、叫ぶ53才。
悲しい。。。




本人が言うには、「昼間に 誰かがドンドンとドアをたたいて怖かった」
「隣のウチに大工さんが入ってるよ、何かしてるんだ」「高校生が廊下をうろうろしてるよ」・・・まぁ、ないわな。

その頃は、 被害妄想の発言は増えてったけど、
まだ会話になるし、表情も普通だった。

物忘れか認知症がでてきたかもなーとは思っていたけど、
テキトーに会話を合わせてて 特に問題なかった。

でも、その間も 母の私に対する依存度は ぐんぐん上がって⤴⤴⤴

いってたんだ と、今思う(遅い ○| ̄|_... )

🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲



父が亡くなったのがきっかけで、20年前から 母と暮らすようになった。

というか、父が亡くなったとたん、数か月後に母が圧迫骨折で手術となって 動けなくなったんだよね。

こういうの、あるあるなのかな?



長年の看病がたたったと思い、何とか元気になってもらって 自分の時間を取り戻してほしかった。
一生懸命付き添って なだめすかして 体ふいたり 足湯したり。
何とか前向きになってもらいたくて、気分が良くなることもがんばった。


それはそれでよかった。

ていうか、それが良くなかったのか?


退院して、帰ってきたけど やっぱり自我が強いのは 変わんなっかった。
トシとっても、大病しても、 夫を亡くしても。


蛇口の水滴が ポチョンポチョンと落ちていて、
一滴じゃ 何も変化がないようでいて、

でも確実にゆっくりと溜まっていく水。

20年前、まだ認知症ではなかった 母との暮らしの始まりは

そんな感じだった。