圧迫骨折のはじまり(母の場合③)
母が動けなくなって2か月くらいしたころ、
どうしようもなくなりました。
その時は介護保険の年齢でもなく、引っ越して1年ほどの地でもあったので、大げさでなく 二人で路頭に迷う心持で。。。
ある夜、母をトイレに連れて行こうとして、抱き合ったまま崩れ落ちちゃって。
もう体力もメンタルも今後の心配にも、なんの方向性も見えなくなって。
そのまま大声をあげて泣きわめく、悲嘆する、ひどく痛がる・・母をどうしていいのか分からなくなってしまいました。
救急車呼ぼう!
私は治してあげられないもん、ね?
もう一回見てもらおう?
とお願いして、
救急車はヤダという母をなだめて、
タクシーを呼びました。。もう何でもいいから、自宅ではだめだ、という思いしかなかったです。
よく覚えてないけど、どうにかタクシーに乗せて、(確か当時、通販で買った車いすを家に置いておいた覚えがあります)
病院も近隣の救急病院は行ったから、運転手さんにもう少し範囲を広げた大きな病院を聞いて連れて行ってもらいました。
観光地のおいしいお店探しみたいだな。と今思いました(^^:
まともに座れない母の頭を膝に抱っこして、走ってもらう夜の道は長くて不安でした。
少し離れた市の、名前は聞いたことあった病院。深夜の救急外来って、なんであんなに薄暗く感じるんだろう。
名前を呼ばれて、先生のまえでいきさつを話しました。
母は口は達者なので先生も軽く
「じゃあベットに寝てみて」って言ったんですけどね。
先生が支えようとしてくれましたけど、全体重が下へ落ちるのは、もう仕方がなかったです。
でも、どこの病院も言ってくれなかった「入院ね」の一言。
一瞬で言ってくれました。
ああいうときって、ハッキリと脳に刻まれてることってありますよね。
その時の夜間対応の先生が‵消化器科のDrだった・・なんてしょうもないことまだ覚えてます^^;。
そのあと、ベッドで運ばれていく母を見たり、看護師さんに説明聞いたり。
原因はまだ分からなかったけど、とにかく何かの一歩にはなったのかも、と思いながら帰りました。