手術の日
今日は、こちらは晴天でした。
すこし風があって、肌寒さはあったけれど、さわやかないい日でした。
こんな日、母はどうしてるんだろ。
日光には当たれているだろうか?
二人で住んでた時(つい2か月前ですけど)、
母の後頭部にお日様が当たるように、少し体を傾けながら 車いすを押してたのを思い出します。
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母63才くらいの時の多発圧迫骨折。
手術が決まってから、本人は病棟では、落ち着いていて スタッフの方とも朗らかにしていたようです。
病棟生活には、きびしく制限がかかりましたが、病名が分かって、手術できることもわかって、「ダイジョーブ」って言うんですよね(^^;。。。
どの口が言った?
具体的には、ベットの背もたれの上げ角度を、ここまで!っていう角度厳守です。
食事や着替えの時も なるべく脊椎に負担がかからないように 、ナナメって行う感じ。髪をとかすのも、歯を磨くのもナナメ。起きちゃダメ、ゼッタイ。
そして、手術日当日。私と妹が「頑張ってね!」と言う中、ガラガラとベットに乗って行きました。
・・・・・・・・・・
2人になった廊下で、この後 妹が言った言葉にかるくショックがありました。
「ご飯食べに行こうか」
扉が閉まって、ほぼ直後です。
Drに、手術は4時間程かかること。
潰れた骨にセメント(的な?)で強度を出して、脊椎の左右にチタンを2本入れること。
不測に備えて、待機していること。
一緒に説明聞いた・・じゃん(˘・_・˘)
てか、いま、この感じで食べる気にはならんよ。
本人は覚えてないでしょうけれど。
なんとゆうか、その場からすぐ離れるっていう気持ちに、すごく温度差を感じたんですよね。
妹は決して 軽んじている訳じゃなく、
(お腹がすいてるんでもないらしかった^^;)
4時間もあるならご飯食べてお茶飲もう。お疲れ様、おねえちゃん。ありがとね。
という、ニュアンスだったんだろうと思います。
私が勝手に、大きな手術に対する(母に対する?)温度差を感じた。
いま、手術じゃん?ここにいようよ。みたいなことを言ったと思います。
しばらくしてから、別々に軽食だけ済ませました。
妹は家庭を持っていて 大変なことたくさんあるだろに・・っていう気持ち、
わたしこの時無くなってたのかもしれません。