圧迫骨折のはじまり(母の場合)②
昨日の続きです
yosa8050.hatenablog.com
父が亡くなって数か月したころ、母の動く様子が遅く、重く、なりました。
私が最初に、ボヤーっとした違和感として感じたのは、椅子からの立ち上がり。
「ううーーん!」といって、力も時間もかかる。
そのうち、ベットから立ち上がる時に、力が入らなくて 生まれたての子馬のアノ感じ。
プルプルって耐えて、駄目だと座る。 その回数が増えて行って、私を呼ばないとトイレに行くにも 1歩も出なくなってしまった。
手引きでしか歩けなくなって、それも無理になったら廊下でヨレヨレと座り込んでしまう。
何とか引きあげる感じで トイレに連れて行くにも 便座に座らせるのも大変だった。
だんだん痛みも出てきて、おなかが痛い、おなかが痛いとよく言っていた。
圧迫骨折なのに なぜ、おなかが痛い と訴えたのかわからないけど 実際に便通も悪かったし、からだもむくんでた。
本人もたくさん病気をしてきて 分からなくなっていたのかもしれないけど。
だけど、歩けないとおなかも動きにくいし、膠原病科から痛み止めがずーっと出ていて、
背中の痛みが分かりにくかったのもあったと思う。
たくさん病気してきてると、飲んでる薬とか先入観の陰にかくれて、探している今の状態は何なのか、見つけにくいという事、たくさんあると思う。
その当時 母は63か64才だった。
今考えると 若いなーーー。
「うーーん」と立ちあがるのに難儀するようになってから「ヨレヨレ」と歩行中に座り込んでしまうまで2か月くらいあったと思うけど、もちろん病院に行った。
おなかが痛いという母の話を真に受けて、内科 へ・・・
なんでだーー!当時の自分!!
と、思うけど「内臓のせいだ・絶対に・どこかが悪いんだ」と言い張る母上。言われるがまま暗示にでもかかっていたとしか言いようがない。
もちろん膠原病科、腸閉塞もしてるから消化器科、 肝臓の数値が悪いといわれればその検査・・・どんどん歩けなくなっていき、ベットから起き上がれなくなった。
もう、本当にこの時は母も私も不安で仕方がなかった。
どこの医者に行っても、悪くないと言われる。どこに頼っていいのか ポツンと二人だけ孤立してしまった。
私の職場は、徒歩通勤で片道15分。午前の仕事がおさなければ 昼休みに帰ってきて、食事やトイレ、会話で様子を聞き「頑張って!」と言って戻る。滞在20分くらいだけど何とかなった。
仕事が終わると ドキドキしながら急いで帰り おそるおそる母に声をかけて。よかった、返事してくれる。大丈夫そうならすぐご飯の準備にとりかかる。苦しそうなら足をマッサージしたりする。
体がつらいのだから仕方がないけど、手を借していても言葉もきつく(-_-)、
母はまだ、自分のことは何とかしようと奮い立たせているようだった。
不安な生活だったけど、今でもときどき脳裏にふわっと湧き上がってくることがある。
ある朝 ベッドのそばで「行ってくるね」と、声をかけると 私のほっぺに皺しわの手を当てて、やさしく「しっかり働いてくんだよ」とにっこり微笑んだ。
私はぎゅーっと母を抱きしめて「うん」と言った。
働けない父を支えてパートで家族を養ってきた 母の気骨を肌で感じた。
私はきっと一生この時のことを忘れない。